りーろぐ

2歳児を育てる外資系ワーママの徒然日記

誕生日ランチ行ってきました

今月誕生日を迎えました。子どもがいると、昔のように特別なディナーを食べに行ったり出来ないので、平日の午後夫と二人で有給をとって、ランチへ。(それでも十分贅沢だよなあ)

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そうそう、こういうのが食べたかったの、こういう、一品一品丁寧に作られていて、こじんまりしていて、シャンパンとあうような、そういうやつ。。。

結婚し、母親になり、誰かのために食事を作る機会が増えて。誰かにおいしい!といってもらえるのはそれなりに嬉しいんだけれども、やっぱり人が作ったごはんって、格別なんだよね・・・

久々に訪れたこのエリアは、昔あったお店が閉店していたり、見慣れないお店が増えていたりして、コロナの影響を感じる。でもベビーカーもなく、持ち物の少ない2人だけの外出は、自然と手も繋げて、会話も増え、本当にデートって感じでとても幸せな時間でした。

まだまだ外出自粛が必要な時期だけど、気を付けつつも時々はこういう形で息抜きができるといいな。そしてもう少し息子が大きくなったら、こうやっておいしいものを一緒に食べる機会をもっともっと増やしてあげられるといいな。

 

トラウマと向き合う

なんでもない、ふとした瞬間に昔あったつらいことや、思い出したくないことが頭をよぎって、カラダが固まってしまうことが時々ある。

呼吸は浅くなり、そのあとしばらく何となく心にぽっかり穴があいたような感覚が続き、ぼーっとしてしまう。

私の場合、それは最初に入社した会社での出来事がほとんど。
上司だった韓国人女性から浴びせられた感情的な罵声や、別の日本人女性の上司から言われた「あなたって、ずっとそうやって60点とって生きてきたんだね」という一言や、他部署のおじさんから言われた「海外勤務できるだけの実力が無いだけでしょ(笑)」という苦笑いや、そんなこと、すべて。
そして、空回りしながらなんとか認めてもらおうともがく度に、それを笑われているような気分になった時のことも。

私は恐らく、期待されていたほど優秀ではなく、何を頑張っていいのかも良くわからなくて、がむしゃらになれるほど仕事を理解していなくて、それでうまく成果を出せなかった。

辞める最後の方は、新宿駅に向かう通勤電車に乗っていて、4つ前の駅まで来ると吐き気や貧血がおき、途中下車を余儀なくされることが続いたし、なんとか会社にたどり着いても、自席についたとたんに、金づちで殴られたような頭痛に襲われた。診断はしてもらってないけど、たぶん精神的に追い込まれていたんだと思う。

もう何年も前のことなのに、なんでまだ思い出すんだろう、思い出したくないのに。

今後、彼・彼女たちと関わる機会もつもりもないし、今の職場にはそんな風に私個人を追い詰めるような言動をする人もいない。転職してからは、苦労もあったけど、ありがたいことに上司や周りのサポートで結果を出してきて、昇進もした。部下や他部署からの評価結果もとてもよかった。今も、どんどん新しい仕事を任されている。

今と昔は違う。

苦しかった経験から自分なりに学んで、人を貶めない、自分を大切にすることをベースに、社会人生活を送れていると思う。

自分なりにこの現象を理解したくて、トラウマに関する本を読んだけど、実際のところ恐らく私のこれはトラウマと呼ぶには恐らく軽度で、心療内科に相談に行く勇気もない。ただ、本に書かれている内容で心に響いたのは”「その時」と「今」を区別する”ということ。

私の人生は一続きかもしれないけれど、その時と今は確かに違う。過去の私はうまくいかなかったかもしれない。そしてうまくいかなかったのは私のせいだけではなくて、その環境も悪かったかもしれない。でも今は、私自身レベルアップしたし、そんな悪いことが起きうる環境ではない。その環境を手に入れたのは、過去をもとに努力した今の自分がいるから。

そんな風に考えることで、過去の自分や自分に起きたことを受け止めつつ、少しずつ心の動揺を少なくしていけるといいな、と思う。

 厄介なのは、私が最初に勤めた会社が、世界的に有名で優秀な企業であること。そこでうまくいかなかった自分のことを、カッコ悪い、恥ずかしい、と思ってしまっているような気がする。結局はプライド、なのかな。。

 

もう頑張れない、何もしたくない

ここ最近、何でもないのに急に心臓がバクバクして息苦しくなったり、何もする気力が起きなかったりして、実は先日急遽午後だけ仕事をお休みしました。

自由時間ができたのに、気分転換の運動をするのは億劫だし、かといってゴロゴロゲームをやる気力も起きないし、大好きな読書ですら、本を手に取る力も出なくてただただソファに転がるだけ。そのまま寝てもいいのに、”せっかくの自由時間を寝て過ごすのはもったいない”気持ちでまた心臓がバクバクして、寝るに寝られない。ただしんどいだけのループに巻き込まれて、もうどこにも行けない。。そんな気持ちになりました。

気付くと涙がこぼれるのは、私の心が疲れているサイン・・・でも、そんなになるような大変な状況じゃないはずなのになぜ?仕事もほどほどの忙しさだし、家族も仲良しだし、体調もいいはずなのに・・・

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色々と考えていく中でなんとなく自分の中で気づいたこととしては、恐らく私の場合「私がこうあるべき像」が実際に自分ができること・したいことと大きく乖離していそうだ、ということ。

・在宅勤務の合間の隙間時間は有効に使えるから、そうするのが普通だ(これまで手を付けられなかった箇所の掃除や断捨離など)
・家にいて時間があるのだから、手の込んだ(栄養に気を使った)料理を毎食家族に作って当然だ
・在宅勤務で運動する機会が減っているから、空いた時間には運動をするのがいいはずだ
・自分の時間も大事だから、毎日読書の時間は確保したい
・これらを全部毎日達成するために、やることリストを活用しよう
などなど・・・

どれも、私が思う”一般的な在宅勤務の母親だったらこうするだろう”という勝手に作り上げた普通像です。これが出来れば、もちろん私の気分は一瞬安定するし、充実感は覚えますが、ただ私だけに目を向けた場合、私の個性は少し違う。

・じっと家にいるのは苦手で、百貨店で買い物したり、一人でぶらぶら出かけたりするのが好き
・人の作ったおいしいご飯を食べるのが好き(つまり外食)
・カフェで読書が至福
・気まぐれにマイペースで行動したい(To Doリストをこなすのは仕事だけで十分)
・誰かのためにささげる時間や労力と、せめて同じだけ上記自分のためだけの時間やパワーをさかないとバランスが保てない

やっかいなのは、これが私が思う”普通像”であり”理想像”ではないということ。普通だと思っているから、アタリマエだと思って手を伸ばす。でも、自分が必要としているものと乖離があるから、どんどんつらくなる。そんな状況だったと思います。

ただでさえ、毎日フルパワーで仕事して家事して育児して、たまにワンオペでてんやわんやしているのに、この普通像を追いかけて本来の自分の性質を無視した行動をとっていたら、そりゃ心もフリーズするよな、、、とやっと気づけた気がします。

多分、家族のだれも、私にこの”普通像”なんて求めていなくて、実際に夫は「ごはんつくるの俺やるよ」といってくれているし、実際に家事の多くの部分を対応してくれているけど、”私が作った方がいい”と思って勝手に自分に負荷をかけているのは、私なんですね。夫は夕飯デリバリーでも、何にも言わないと思うから。

このギャップを受けいれて、自分は、自分が思う普通の母親・妻ではないのだと本当の意味で理解することが出来たら、このバクバクと打ち続ける心臓の痛みや、不安感と離れることができるような気がします。

忘備録として。

 

【読書記録】スリム美人の生活習慣を真似したら1年間で30キロ痩せました(わたなべぽん)

出産後の体型を戻したい~と思いながら、今年に入って生活に気を付けて過ごしている私。ちょうどよさそうな本(というか漫画)を発見したので読んでみました。 

 全編漫画で読みやすい。そしてすべてがすんなり・しっくりくる。ダイエット本という括りになるのでしょうが、実際のところダイエットの域を超えて、より良い習慣を身に着けるためには?悪い習慣を断ち切るには?というヒントがたくさん詰まっているように思いました。著者は95キロから1年間で65キロまで健康的に減量。その結果を出すだけでもとてもすごいことだと思うのですが、減量していくなかで、著者が自分自身をより好きになっていっている、というのがとても印象的でした。

あれはダメ、これはダメ・・・という厳しいルール決めの中に自分を押し込めていくのは、どうしたってストレスも大きくなるものですが、こうありたいと思う自分のイメージに近づくための行動を取っていくことは、より自尊心を高めていくことに繋がっていくんだろうなと思います。

そして、その続編がこちら。
さらにリバウンドなしでマイナス5キロを達成されています。

 私自身も、1月から真面目にカラダ改善に取り組んで早半年。体重はマイナス3キロ、体脂肪はマイナス4%とまずまずの進捗ですが、もうしばらくはあきらめず続けていこうと思います。目標体重まであと2キロ!

 

【読書記録】困ったら、「分け方」を変えてみる。(下地寛也)

「分け方」という切り口で書かれた本を読んでみました。著者はコクヨ株式会社のワークスタイルコンサルトである下地寛也さん。

 日常生活のちょっとした不便の解決や整理収納法、また幅広くマーケティングや思考法にもつながる内容が盛りだくさん。「分け方」という大きなくくりでまとめられていますが、実際には論理的思考能力の話のように感じました。

困ったら、問題を並べて、グループ分けして、それぞれに対する対策を考える。この時いかに意味のあるグループ分けができるか?によってその後のアクションが大きく変わると思うのですが、そのヒントが色々とちりばめられています。

そういえば、私は昨年「整理収納アドバイザー」の1級1次試験に合格しまして、次の2次試験の準備中。課題動画を提出するのを先延ばしにし続けて早半年・・・いい加減撮影しないと・・・

この「整理収納アドバイザー」の試験の中でも、「分け方」とか「グルーピング」ということがばたくさん出てくるんですね。身の回りの散らかりがちなモノたちも、自分自身(や場合によっては他人の)思考も、そのままにしておくと四方八方に散らばってしまう。そんな困った状況を解決するための大きな指針として、「分ける」があるのだと、改めて気づかされた1冊でした。

 

【読書記録】能面検事(中山七里)

いつもジャケ買いならぬ作家買いで本を選んでしまうことが多く、正直好きな作家さんの本はすべて読みつくしているので、新しい出会いを楽しんでいる今日この頃。

今回は、初めて中山七里さんの著書を拝読。 

能面検事

能面検事

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舞台は大阪、大阪地検一級検事と新米検事事務官が立ち向かうのは、ストーカー殺人事件。その過程で検事が大阪府警の一大スキャンダルを発見してしまう。孤立しても、嫌われても、自分の流儀を貫いてただ自らの責務を果たしていく”能面”検事のミステリー小説。

スピード感があって、どんどん読み進められる一冊でした。シリーズ化されそうな雰囲気漂う終わり方。

一匹狼でも、己の流儀、正義を貫いて突き進む主人公の検事、不破の姿には、サラリーマンとして少し憧れる部分がありました。

企業に努めるいち会社員として、これって本当にお客様のためになるの?とか、このやり方っておかしくない?とか、疑問を呈したい場面って本当に毎日たくさんあって。でも正直、それらのすべてを正面から突き付けて押し通すほどのことはなかなかできなくて、ぐっとこらえて水面下で準備をすすめたり、見えないところで仲間を募って根回ししたり、そういうことしかできないんですよね。

それが悪いとも思わないけれど、それでもああ、不破のようにびしっと正論を言えるだけの覚悟が私にあれば、どんなにラクだろう、と思わずにはいられませんでした。とはいえ、ここまで敵を増やす覚悟を持つのは、並大抵の人間じゃ無理だろうけど…

著者の中山七里さんが書かれて、第8回「このミステリーがすごい!」対象を受賞されている『さよならドビュッシー』もまた読んでみたいと思います。

 

 

トリリンガルが思う幼児英語教育

最近よく幼児教育系の会社から、英語教育についてのアンケートやリーフレットが良く届くのですが、それと並行して、同じくらいの子どもをもつ友人からも、よく”英語の教材とかやらせてる?”と質問をもらうようになりました。2歳くらいって、ちょうどそういうことを検討する時期なのかもしれないですね。

私は、日本語・英語・スペイン語トリリンガルです。
日本人なので日本語は母国語。小中学生の間にしばらくスペイン語圏に住んでいたため、そこでスペイン語を学び、帰国してから受験で英語を本格的に学ぶなかで、英語が共通語である外資系企業に入社し、いまは英語で業務を遂行しています。

なお、念のため補足しておくと、両親は英語を喋れません。
英語に関しては、海外移住前、小学生の時に1,2年ほど英語を習っていたこと、また通っていたのが日本人学校ではなく現地のヒスパニック校だったことで英語教育が盛んだったこと、また日本に帰国してからもしばらく英会話教室に通っていたことがあったので、英語に慣れ親しむ機会は、何もしていな人よりも多かったと思います。

そんな私は、自分のもうすぐ2歳になる息子に対して、何の英語教材も渡していません。様々な研究結果があることも承知していますし、幼児英語教育についても何も否定しませんが、経験上、語学は本当に自分が学びたい!と思わないと身につかないと思うからです。

現に、同じ時期に海外に住んでいた、当時未就学児だった男の子は、誰よりも早くスペイン語を習得しネイティブレベルになりましたが、その後帰国してからはあっという間に忘れてしまったそう。私も、日本に帰国してからはできるだけスペイン語を忘れないように、喋る機会を作るように努力していました。環境に支えられて身に着けた語学は、その環境から遠ざかればあっという間に忘れるというのが私の持論です。

とはいえ、トリリンガルであることは、私の人生をとても豊かにしてくれたことも事実。自分の子どもにも、トリリンガルとまではいかなくとも、せめて英語は喋れるようになってほしい。その気持ちはあります。

私が小学生の時英語を習いたい、とお願いして英会話教室(ジオス)に通わせてもらったのは、当時大ブームだった宇多田ヒカルさんがきっかけでした。歌が好きだった私は、First LoveのCDについている歌詞カードを一生懸命読もうとするのですが、なんせほぼ英語。意味も発音もわからないことが悲しくて悔しくて。どうにかしてこの歌を上手に歌えるようになりたい!それがモチベーションだったのです。

この経験から、私が息子にしてあげたいと心に決めていることは1つ。

英語が喋れると、その先に何があるのか?に触れる機会を作ること

英語の歌詞が読める。吹き替え無しで、ハリウッド俳優の声を楽しみながら映画が観れる。日本に出回ってない本や情報に、垣根無くリーチできる。どんな国でも生きていける。友達が増える。職業の幅が広がる、などなど数えきれません。

 

それがきっかけで、もし本当にいつか本人が英語を学びたい!といったときには、全力でサポートすることが出来れば、と思っています。幼いときからインターに入れたり、常に英語と触れる環境をずっと作り続けてあげるほどのことは我が家には出来ないけど、本人が自分の意志で学びたい!勉強したい!という意欲がわいたとき、それを支えることは、やってあげられたらいいな。それが辞書なのか、教本なのか、アプリなのかわかりませんが、その意欲さえ継続できれば、幼児期でなくとも、いくらでも語学は身に着けられると身をもって体感しているから。

しかし、全力でサポート!するにはそれなりのお金がかかりそうなので、これは最低限貯金しとくしかないな、、と思いながら、両親が自分にかけてくれた投資金額に思いを馳せると、気が遠くなりそう。親のありがたみをひしひしと感じます。