りーろぐ

2歳児を育てる外資系ワーママの徒然日記

Hello 2022!

年末年始は私と夫の実家にそれぞれ2泊ずつして、馬刺し、新鮮なお刺身、うなぎ、牡蠣などたらふくいただいた。

毎年の事なれど、やはり年末年始はどうしたって食べ過ぎる。案の定今年も私は帰宅後お腹が緩くなり、節制せざるを得ない状況になってしまった。反省。また来年も言ってるかもしれないけど。

さて、私の年始のルーティンといえば、書初め。一昨年は「整」、昨年は「健康」、そして今年は「実行」にした。

昨年はいい意味でペースをつかめた良い一年だった。復職後の仕事もうまくいったし、評価もしてもらえた。家族仲もよく、みんな健康で仲良く過ごすことができた。コロナの影響がある中で、これだけハッピーに過ごせたのは本当に有り難いことだった。

今年はどんな年にしよう?そう考えたとき、思い出したのは2つのこと。
一つは先日帰省した際に還暦を過ぎて数年経つ父が言った「俺まだ死にたくない。死ぬのが怖い。毎日がすごく楽しいから、それが終わってしまうなんて考えたくない」という言葉。海外単身赴任をしたり、あちこち転勤したり、大変な役職について恐らくとても大変だった会社員人生。定年を過ぎてもなお働き続ける中で、母や自身の父、義理母との交流もしながら、趣味の車をめいいっぱい楽しんでいる。「死にたくない」。自分の父親から聞くにはなかなかパンチのあるワードだったけど、そんなに人生楽しいなんて、なんて素晴らしいのだろう。

もう一つは先日結婚した友人(男性)が言っていた言葉。「人が結局死ぬ間際に振り返って思い出すのは仕事じゃなくて家族や友人のこと」。まだ35歳くらいなのにどうしてそんなこと言いだすんだろうと思ったけど、所帯を持つにあたり色々考えた様子。これもまた真理だろう。病床で達成したプロジェクトのことなんて思い出しそうもないし、幸福感もあまりなさそうだ。

そういう話を聞いてると、30代でまだまだ「若い」といわれる年齢だとはいえ、本当に大切なものは何か考えながら生活するのに何もネガティブはなさそうに思う。ただ、毎日子育てと家事と仕事に追われながら過ごしていると、自分は何に幸せを感じるのか?自分がやりたいことって何なのか?あえて振り返るような時間はないに等しい。

ただ、ふとした日常の中で「面白そうだな」「これってなんでだろう?」みたいに興味を惹かれることは時々だけど、確かにあるのだ。それを目の前のおむつ替えや仕事の催促電話を理由に見て見ぬふりをしてしまっているのは他でもないこの私。

そのことに改めて向き合った年始。心に浮かんだ「好きかも」「気になる」は即実行!とりあえず何でもいい、3日坊主に満たなくてもいい、それでもいいからやってみる。そうこうしているうちに、自分の気持ちに向き合うことくらいはできていく気がする。

私もいつか還暦を迎えたとき、父のように「まだ死にたくない。やりたいことがたくさんある!毎日楽しくて仕方がない」そう言えるようになりたい。そのための大事な日々だということに向き合うには日々は忙しすぎるけど、それでも、少しずつ。

藤井風くんをみて子育てを考える

今更ながら、藤井風くん(あえてここではくん付けにさせてほしい)にハマっており、彼のYoutubeチャンネルを隅々までみては、ノリノリで小躍りしている。

何が私をこんなに惹きつけてはなさないかというと、それは彼が夫と同じ岡山出身でその方言に親近感がわくというだけではなく、もちろん曲も歌詞も素敵なんだけど、それよりも何よりも、こんな素晴らしい人ってどうやって育ったんだろう。という興味が一番大きい。

日本に住んでいると、ある程度フォローすべき道筋が決まっていて、そこからそれるのってすごく難しい。

例えば小学校を卒業したら中学校にいって、そこから受験して高校にいって、大学を卒業するまでにブランクはなく、新卒一括採用で入社する、といった感じ。

私も大方その枠に沿って生きてきたものの、小学校卒業は海外だし、日本に帰国してからは中学時代は不登校だったし、そんな娘を持った親なので、私の両親はかなり苦労したはずだけど、私が自由であることに(最終的には)すごく寛容だった。例えば、学校に行かずに毎日近所のお城に通ってひたすら鳩を観察する娘を黙って見守ってくれたし、一方でそんな中でも本格的に英語が勉強したいといえばその環境を提供してくれた。当時単身海外赴任していた父が、娘(とそのサポートに苦労している母)を心配して時々地球の裏側から帰国してくれた。

誤解を恐れずいうと、藤井風くんも、いい意味で ”みんなと違う” ”ちょっと変わってる”子だったように見受けられて、でもそれをここまでうまく伸ばした周りの大人たちってすごい。そしてそれを受け取るだけの自分を持ち続けた彼ってすごい。

勝手な妄想ながら、私にはそのように感じられて、仮に藤井風くんほどの才能でないにしても、我が子になにか小さな才能の片鱗がみえたとき、それを私は親として、身近なオトナとして、どうやって大切にしてあげられるだろうか、と緊張する。

どんなに気を付けていても、”こうしたらいいのに”というオトナ目線の指摘はなかなか消せない。でもそれよりも子どもの持つポジティブな何かを守ることを、どうやったらうまくやれるのだろう。これはきっと子どもが私のもとから巣立っていくまで、チャレンジは続くし失敗も成功も正解もないのだろう。

でもあの独特な雰囲気と心地よい音楽を身にまとったアーティストをみるたびに、私はそのことばかり考えている。

 

病院に連れていけない私

息子が霰粒腫になった。いわゆるものもらいだが、抗菌目薬を差して治るものではなく、長い人は1年くらいかかるらしい。目の中のとあるせんが詰まって、腫れてしまうのだそう。

眼科にいったものの、まずは目薬、次に塗り薬・・・と対策が変わっていく間にどんどん腫れはひどくなり、とうとう昨日私とお風呂に入っている間に破れて膿が出てきてしまった。

これ自体はいいことなんだろうけど、不安になって調べれば調べるほど、幼児の霰粒腫は対応が難しそうで、オトナのように簡単に切開もできないし、息子の場合だと位置的に傷跡が残りそう。

日曜日に、休日でも開いている眼科に連れていく予定にはしているものの、保育園に行っている今も、本当は目薬を入れてあげたい、塗り薬を欠かさず塗ってあげたい・・・という気持ちが止まらず、本当に彼にとって十分な対応をしてあげられているのか不安に襲われた。

会議の合間に30分時間があいたので、ちょうどいま暇だよと教えてくれた母に相談の電話。こんな状況で、すごく心配で、、、という話をしたら、母にこういわれてしまった。

「なんで?そんなに心配なら今朝病院に連れて行けばよかったのに。」

恐らく母は何気なくそういったのだと思う。当然の話だもの。

でもこの一言で私は動けなくなってしまった。なぜなら、今朝の私はそんなこと考えられもしなかったから。

朝は8:30から大事な会議があって、夫は出張で不在。
会議に参加するために、何が何でも息子と私の身支度を終わらせて、保育園に無事笑顔で送り届けることしか、頭になかったのだ。

確かによく考えれば、息子より大事な会議なんてないのだから、病院に連れていけばよかった。1日でも早く。でも私はそれが出来なかった。仕事しなくちゃ、と思ったから・・・

固まって何も言えなくなった私をみて、何か少しフォローを入れた(呆然としてて何を言われたか覚えてない)母も、実際自分の発言の何が娘をこんなに動揺させてしまったのか、よくわからなかったのかもしれない。
こんなこと言いたくないけど、多分、近くに頼れる人がいないなか、子育てしながらフルタイムで働いたことがないと、想像できないんだと思う。


「必要なときは私もサポートに行くし!」
と言ってくれたけど、新幹線で3時間の距離、刻々と変わる目の状況にあわせて母がくることなんて、ないとも思う。それを望んでいるわけでもない。

私はただ、自分の都合でこうして働いていることが、息子をタイムリーに病院に”連れていけていない”ということに繋がっている事実にショックを受けたんだと思う。それを仕事の合間に思い悩むだけしかできていない私自身に、幻滅したのだ。

働いてなければ、私は息子を病院に連れていけるし、付きっきりで薬を塗ったり目を温めてあげることもできる。でも月数十万の収入はなくなるし、息子も保育園という場であんなにのびのび楽しそうにお友達と遊ぶことはなかっただろう。そんなことを考え出すと、きりがない。

大事な息子を病院に連れていけない私って何なんだろう。

 

1on1 を実施するようになって3週間

部下と1on1を始めてみることにしました」と投稿して、実際に3名の部下と定期的に実施するようになり早3週間。ちょっとここまでの経過を振り返りたいと思う。

まず、総じて結果は”非常に良かった”の一言。
部下がいま何を考えていて、何を感じていて、そこに対して自分がどんなサポートができるのか、タイムリーに理解し反応できるのが何よりも大きい。

またこれまで仕事でよっぽど行き詰って自分で判断できなくなった時にしかコンタクトしてこなかった彼らに対し、ほぼ週次で顔を見ながら30分話ができることで、急ぎじゃないけど大事なことについて、一緒に会話することができるようになった。

それは会社目線でいうと”キャリア”に関連することだといえるかもしれない。

実際に私たちが会話しているのは”数字に強いのってなんでなの?” ”大学って何勉強してたの?” ”そこで大変だったことや、それを乗り越えるためにどんなことをしたり考えたりしたの?”などかなり個人的な話。でもそんな話だからこそ、嬉々として語ってくれることも多い。

でもそこから得られる情報は多くて、その人自身の思考の仕方や、どんな点がコンプレックスでどんなことを強みだと思っているのか?などがとてもよくわかる。ああ、だからあの時そういう反応したんだ、など、職場での振る舞いや動きの裏付けになる。

それを理解するには、うまい質問をすることが必要になるけど、ここは前職で消費者リサーチのモデレーターを務めることがあった経験が活きている。Effective questioningを指導してくれた前職場に感謝。

もうすぐ年末。彼らには、今年の評価を言い渡す必要がある。人によっては自分の思う結果とのギャップがある人もいるかもしれない。そういうもやもやを払拭できるのは、その言い渡す場での振る舞いの仕方だけでなく、普段からの関係性なんだとひしひしと感じる。

今日も、1on1を始めた部下の一人がちょっとしたことでメールをしてきた。これまでなかった「!」がついたり、少し口調が緩くなったみたい。より私が身近に感じられるようになったのかな、より連絡をしたり質問したりするハードルが下がったのかな、と思って嬉しい。

 

耳に、新しいおとも

Amazon Black Fridayセールで、ワイヤレスイヤホンを買った。もともとBOSEのワイヤレスを使っていたものの、愛用しすぎて部品の一部が壊れてしまい、修理に出したいけど正規店は少し遠い。コロナを警戒してあまり大都市に出ないようにしている身としては、たとえBOSE様のためだとしてもここは守らないといけない領域だ…と涙をのんで、なんだか口コミがいい割に7000円くらいで買えるこれを買ってみた。

なんて親切なイヤホンなんだろう!

アプリを使うと、数種類あるイヤーチップのうちどれが密閉感が高く最適かまで判断してくれる。それくらい自分でわかるやろ・・・という突っ込みはしつつ、もしも私の判断が間違っていてせっかくのノイズキャンセリングを無駄にしてはいけないので一応試してみる。最適ですとのことでほっとする。私の耳の感覚はまだ大丈夫そう。

ノイズキャンセリングはもちろんのこと、外音取り込みモードや睡眠モードまであって、ただのイヤホンのつもりで買ったのに、昼も夜もそばにいようとしてくれている意気込みがひしひしと感じられ、なんだかもう至れり尽くせりで申し訳なくなってくる。

こちらの期待値としては、特に在宅勤務の際、どうでもいい会議の時はこれを付けて合間に掃除機かけたり食器を洗ったり洗濯ものを干したりしたいというただそれだけのことだったのに、そこまでスコープを広げられて恥ずかしい。

とりあえず今日は2つの小さなイヤホンを、丸みをおびたかわいらしいケースの中にそっとしまい込んだ。どこまで活用できるのか、自分に期待したい。

 

魔女の一撃、背中に受ける

昨日子どもを寝かしつけてお風呂からあがったら、急に首が動かなくなった。

正確には後ろに頭を倒せなくてずっとまっすぐ向いてることしかできない状況。特段なにか変わったことをした記憶もないのに、まるでぎっくり腰。

よくわからないまま、とりあえず筋肉が凝ってる?ような気がして温めてみるものの一向に治る気配なし。一縷の望みをかけて、肩こり解消のために効くと絶大な信頼をおいているファイテン パワーテープを張り付けて寝たものの、今朝起きても「うっ・・・」と声が出たきり起き上がれない始末。

昨日と比べてわかるのは、痛いのはどうやら首ではなく右の肩甲骨当たりだということ。このあたりが張って?固まって?その周囲が一切動かなくなっているみたい。

ネットで探してみたら、どうやら「ぎっくり背中」というのがあるらしい。

ぎっくり背中・・・なんだか本当にギャグみたいな、ちょっと小ばかにされたようなネーミングだけど、どうやら症状的にはこれで間違いないらしい。

やってはいけないことその1は温めることだった。炎症を広げてしまうから。そりゃそうだ、なんてことをしてしまったんだろう。

今日一日、在宅勤務はソファに寝転がってこなした。カメラをオンにしなくて済む会議が多くてよかった。多分お腹の上に乗せた私のPCが映すのは、私の鼻の穴丸見えのアングルだったに違いない。

今週末には家族で温泉旅行を予定しているのに、どうしよう。まずは冷やして安静に。まさか「温めない」=「温泉NG」の旅行になりませんように・・・

 

60%な毎日

仕事がちょっと落ち着いて、毎日60%のパワーで勤務できるようになった。

自分に(時々)厳しいところがある私は、なんとなく居心地が悪く、もっとできることがあるのでは?とか、これで本当に十分なのか?と考えてしまうけど、もうこれでいいのだ!と思いきるしかない。

毎日100%で仕事してたら、心も体も休まらないし、急な案件が出てきたときに対応できないし。と思う。

それでもまだ「それって言い訳では?」って突っ込んでしまう自分は、部下がノロノロと仕事しているのを見て「もっと自分のキャパ広げるためにストレッチせんかい」と毒づいているときの私。自分に厳しいポイントは、人にも厳しくなりがちだ。

自分のできることを精一杯やる。自分と他人は異なることを知る。他人に強制せず、他人の思考をサポートする。

あたりまえなことなのにこんなに難しいのは、上司になって初めて分かったこと。今振り返ると、前の会社でヒステリーになって私を怒鳴り散らしていた上司は、当時の私から見るとただただ恐ろしい存在だったけど、今の私くらいの年齢だったことを考えると、単純にとても未熟だったんだろうなとわかる。

それも、私が上司という立場になったからわかったこと。

60%な毎日でいい。私も、部下も。私が家族と自分の読書時間を愛するように、部下が家族や趣味に向き合う時間が確保されて、それなりのお金をもらえて、楽しい毎日を送ることができればいい。もしもっと仕事でチャレンジしたいのであれば、そこは本人の意思によるところであって、私が無理やり強制することでもない。

残りの40%の力を蓄えたまま、今日は何をしよう。

読書もいいし、ゲームしてもいいし、今日の夕飯をつくってもいい。そんな感じで緩く過ごすことを自分に許していきたい。